梁川星巌 紅蘭 合作 
墨竹図
 




作家名 D-041 梁川星巌 紅蘭 合作 yanagawa seigan-kouran
作品名 墨竹図
価格
作品詳細 掛け軸 紙本水墨 合箱 
作品寸法35x119.5p
全体寸法53.2x119.5p
作家略歴

梁川星巌
寛政7年(1795)〜安政5年(1858)

安八郡曽根村(大垣市)に大垣藩士稲津丈太郎長高の子として生まれる。名は卯、字は伯兎。号は詩禅。後、名を改めて、孟緯、字を公圖または無象とした。十二歳で両親を失う。幼くして華渓寺太随和尚に句読を受ける。文化四年、一九歳で江戸に遊学し、山本北山塾に入門、経史、詩文を学ぶ。二十九歳帰郷し「梨花村舎」を開き、詩文を研究し子弟に教授した。文政五年から約十年間、妻紅蘭を伴って、西日本各地を放浪、頼山陽その他の文士と交流、詩名大いに高まる。天保三年、江戸に出て「玉池吟社」を開き詩文を教授した。門弟には、佐久間象山もいた。弘化三年、京都に居を移す。嘉永六年、ペリー来航後、吉田松陰、梅田雲濱らとの交流を深め、尊皇攘夷運動の中心的役割をになう。安政の大獄直前の安政五年、京都にて急死する。尊皇家。漢詩人。

張氏紅蘭
享和4年(1804)〜明治12年(1879)

安八郡曽根村(大垣市)に稲津長好の長女として生まれる。幼名、きみ。名は初め芸香、のち景または景婉。字、初め玉書、月華、のち道華。一四歳のとき、梁川星巌の「梨花村草舎」に入門。一七歳のとき梁川星巌と結婚する。文政五年、星巌とともに五年に及ぶ西遊の旅に出る。星巌の死後、安政の大獄で投獄。晩年は京都で私塾をひらいて余生を送る。生涯、星巌とともに生き、星巌とともに多くの文人と交流する。琴を弾き、詩文、画に才覚を発揮した。江馬細香と並び称される近世の代表的閨秀。

コンディション他
星巌題詩

秋夕芝原氏齋中聴琴

秋風吹入洞庭波  秋風吹き入る洞庭の波
奈此明徴善手可  此の明徴(めいき)善手を奈何(いかん)せん
聴到泱泱聲絶處  聴きて泱泱聲絶ゆる處に到る
滿園竹露泣皇娥  滿園の竹露皇娥を泣かしむ

秋風が洞庭湖の波に吹き入ったように琴が弾ぜられた。この琴節に明らかなる妙手を何としようか。聴いて泱泱と聲絶ゆる處に到れば、滿園の竹露が滴つて湘娥を感動して泣かしめるのである。

(星巌全集 第二巻 西歸集所載)


洞庭湖・中国湖南省の北部にある「瀟湘八景」の一つ。
明徴・琴節を徴という。
泱泱・水の深く広い様。
皇娥・湖水の女神

星巌、紅蘭の詩画の合作というのは、私のように美濃で書画屋をするものにとっては、今でも特別なものとして、出会えば、手に入れなければならないものです。本紙に一カ所強い折れがありますが、歴史のロマン香る、こころやすらぐ良い掛け物にはちがいありません。


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