後藤瑞巌  関 南北東西活路通


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作家名 E-097 後藤瑞巌 gotou zuigan
作品名 関 南北東西活路通
価格
作品詳細 掛け軸 紙本 共箱 
作品寸法30x104.5p
全体寸法37.4x178.5p
作家略歴
明治12年(1879)〜昭和40年(1965)

大垣に生まれる。僧名、瑞巌宗碩。蔭凉軒と号す。荒尾の円成寺全識について得度。東京帝国大学在学中、釈宗活に参じ、大正3年、宗活の印記を受けて朝鮮に渡り、京城妙心寺別院を創立し住職となる。昭和4年、円成寺住職、同6年、妙心寺山内東海庵住職、昭和9年、臨済宗大学学長に就任。昭和21年、妙心寺六百十五世管長、さらに同22年から26年まで大徳寺五百三世管長を歴任。大珠院に隠棲。

コンディション他
関 南北東西活路通

碧巌録(北宋初期の雲門宗の雪竇重顕が「景徳伝灯録」などに収録されいた語録から百則を選んだ公案集から、北宋晩期の圜悟克勤が垂示・著語・評唱を加えた禅の教本)第八則より。大徳寺開山大灯国師宗峰妙超禅師が師の大応国師南甫紹明禅師 より与えられた「雲門の関」の公案を透過したときの投機の偈(悟得の詩)。

一回透得雲関了 ひとたび雲関を透得し
南北東西活路通 南北東西活路を通ず
夕処朝遊没賓主 夕処朝遊賓主を没し  
脚頭脚底起清風 脚頭脚底清風を起す

唐の翠巌令参禅師の「私は夏安居(修行)のあいだ皆さんにいろいろと説法してきたが、仏法を誤って説いたりすると、眉やひげが抜け落ちるというが(翠巌眉毛)、まだ私の眉毛は有りますか?」という説法に対し、保福従展禅師は「賊となる人心虚なり」と答え、長慶慧稜禅師は「生ぜり」と答えたが、雲門文偃禅師はただ「関」と答えた。これが「雲門の関」で、「関」とは何かということです。この「関」から「関所」だとか「玄関」という、関門、入り口を意味する言葉ができたのですが、「雲門の関」の「関」の意味するとこは、「関」を超える、超えて向こうに行くということ、そのものの問いということではないのでしょうか。ともかく《南北東西活路通》というのは、「ひとたび雲門の関を通過してしまえば、あとは東西南北自由自在の境地である。」ということで、大徳寺開山大灯国師宗峰妙超禅師の感慨溢れる偈であります。


コンディションは良好。茶掛けの良い仕立てになっています。

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