| 作家名 |
G-001 富岡鉄斎画 五代清水六兵衛造 |
| 作品名 |
瓶 |
| 価格 |
135.000円 |
| 作品詳細 |
清水六兵衛箱 |
| 直径13p 高さ14p |
| 作家略歴 |
五代清水六兵衛
明治8年(1875)〜昭和34年(1959)
京都に生れる。幼名、栗太郎。号は祥嶺、晩年は六和と称する。幼少より幸野楳嶺に四条派の絵画を学ぶ。京都府立画学校へ通う一方、製陶は祖父三代や父四代に手ほどきを受ける。明治28年に第4回内国勧業博覧会入選。マジ
ョリカ(15世紀初頭以降にイタリアで焼かれた錫釉彩画陶器) 釉法などを研究する。32年に職工奨励会、40年には佳都美 会を結成。大正2年(1913)、五代六兵衛を襲名、農商務省展
第1回展で3等賞を受ける。同8年、日本工芸会の結成に参加 。昭和2年(1927)の帝展に第4部(美術工芸)の設置に尽力する。昭和6年(1931)帝国美術院会員。五条会を組織。大正青
磁と呼ばれる独特の青磁釉、大礼磁、天目釉など新技法の研究 、開発を試みるとともに京焼伝統の色絵陶器を手がけ京焼を復興させる。
富岡鉄斎
天保7年(1837)〜大正13年(1924)
京都三条通新町の法衣商十一屋伝兵衛・富岡維叙の次男として生まれる。字、無倦。本名、百錬。別号、鉄人、鉄史、鉄崖等。幼い頃難聴となる。幼少の頃から石門心学に親しみ、15歳頃から大国隆正に国学を、岩垣月洲らに儒学を学ぶ。安政2年、18歳の頃、女流歌人
大田垣蓮月尼のもとに同居し大きな影響を受ける。翌年、南北合派の窪田雪鷹、大角南耕に絵の手ほどきを受け、その後、南画を小田海僊に、大和絵を浮田一惠に学んだ。文久元年、長崎に遊学し、祖門鉄翁、木下逸雲らの指導を受ける。また、勤王家と盛んに交流し国事に奔走する。維新後の30歳から40代半まで大和国石上神社や和泉国大鳥神社の神官を勤める。明治14年、兄伝兵衛の死に伴い京都薬屋町に定住。本格的な画家生活に入る。明治29年、田能村直入、谷口藹山らと日本南画協会を発足。帝室技芸員。帝国美術院会員。「最後の文人」とも謳われる。近代日本の生んだ最大の画家の一人。
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| コンディション他 |
コンディションに問題はありません。
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