岐阜 郷土の先人遺墨展目録郷土シリーズ26 1

平成21年1月10日(土)〜1月15日(木)
総作品数197点中  1〜201 2 3... 11

1.梁川星巌 詩書 合箱

梁川星巌 詩書

紙本水墨29.4×135.5

2.梁川星巌 万年芝生図 合箱

梁川星巌 万年芝生図

紙本水墨57×40

3.梁川星巌賛 高文渓画 山水図 合箱

梁川星巌 山水図

絹本水墨35.6×114

◆梁川星巌・1798〜1858 安八郡曽根村(大垣市)に大垣藩士稲津丈太郎長高の子として生まれる。12歳で両親を失う。幼くして華渓寺太随和尚に句読を受ける。文化4年、19歳で江戸に遊学し山本北山塾に経史、詩文を学ぶ。29歳で帰郷し「梨花村舎」を開く。文政5年から約10年間、妻紅蘭を伴って西日本各地を放浪、頼山陽その他の文士と交流、詩名大いに高まる。天保3年、江戸に出て「玉池吟社」を開く。門 弟には佐久間象山もいた。弘化3年京都に居を移す。嘉永6年、ペリー来航後、吉田松陰、梅田雲濱らとの交流を深め尊皇攘夷運動の中心となる。安政の大獄直前の安政5年、京都にて急死。尊皇家。漢詩人。
◆高文渓・生没不明。京都の南画家。

4.中西耕石 張氏紅蘭賛 山水図 合箱

中西耕石 張氏紅蘭賛 山水図

絹本水墨45×22

◆張氏紅蘭・1804〜1879 安八郡曽根村(大垣市)に稲津長好の長女として生まれる。14歳のとき、梁川星巌の「梨花村草舎」に入門。17歳のとき梁川星巌と結婚する。文政5年、星巌とともに5年に及ぶ西遊の旅に出る。安政の大獄で投獄。星巌の死後、晩年は私塾をひらいて余生を送る。生涯、星巌を師とし、詩文、画に才覚を発揮した。明治12年に没。
◆中西耕石・1807〜1884 筑前藩芦屋(福岡県芦屋町)に生れる。早くから京都にのぼり、松村景文、小田海僊、篠崎小竹に師事。明治15年に京都府画学校教授になる。南画家。明治17年に没。

5.高橋杏村 山水図 合箱

高橋杏村 山水図

紙本水墨77.5×163

◆高橋杏村・1804〜1868 安八郡神戸村(神戸町)に生まれる。画を中林竹洞、詩を梁川星巌に学ぶ。私塾「鉄鼎学舎」を開き多くの門 人を持つ。江戸後期美濃を代表する南画家。明治元年に没。

6.村瀬秋水 村瀬雪峡 合作
梅菊芝三友図 合箱

村瀬秋水 村瀬雪峡 合作 梅菊芝三友図

紙本水墨30.7×128

7.村瀬秋水 山水図 合箱

村瀬秋水 山水図

紙本水墨59.5×131

8.村瀬秋水 山水図 三幅対 村瀬雪峡箱

村瀬秋水 山水図村瀬秋水 山水図村瀬秋水 山水図

絹本水墨41.9×131

9.村瀬秋水 山水図 合箱

村瀬秋水 山水図

絹本水墨29.1×130.5

10.村瀬秋水 秋林読易之図 合箱

村瀬秋水 秋林読易之図

絹本水墨40×139.5

追加分の 202.村瀬雪峡はこちら »

◆村瀬雪峡・1830〜1879 美濃上有知村(美濃市)に生まれる。村瀬秋水の長男。秋水より画を伯父村瀬籐城、佐藤一斎から詩文を学ぶ。南画家。明治12年に没。
◆村瀬秋水・1795〜1867 武儀郡上有知村(美濃市)の庄屋、村瀬敬忠の三男として生まれる。村瀬藤城(長男)、立斎(二男)は兄。 幼少のころ、名古屋の張月樵に学ぶが、画家を志すことを許されず藤城を助け家業に従事する。30歳のとき野呂介石に入門終生師と仰ぐ。藤城死後、分家して山中に隠棲、20年間郷里を出ず、画業に専念。江戸後期美濃を代表する南画家。明治9年に没。

11.村瀬太乙 山水図 合箱

村瀬太乙 山水図

紙本水墨31×113

12.村瀬太乙 戯画 合箱

村瀬太乙 戯画

紙本淡彩59.3×40.8

13.奥村石蘭 村瀬太乙賛
月下花影婆娑図 合箱

奥村石蘭 村瀬太乙賛 月下花影婆娑図

紙本淡彩31×130

◆村瀬太乙・1803〜1881 美濃上有知村(美濃市)に生まれる。村瀬籐城、頼山陽に詩文を学ぶ。犬山藩儒を務める。奇人として知られ、世塵を脱した気風と、禅画にも似た独特な画風は異才を放つ。儒者。明治14年に没。
◆奥村石蘭・1834〜1897 尾張の人。野村五渓に四条派を学び、京都に出て横山清暉に学ぶ。のち名古屋に戻り、葦原眉山と同好社を設立。名古屋画壇の重鎮。明治28年に歿。

14.蓑虫山人 芭蕉図 合箱

蓑虫山人 芭蕉図

紙本淡彩62.7×111.8 

15.蓑虫山人 海景図 合箱

蓑虫山人 海景図

紙本淡彩64×121.6

16.蓑虫山人 扇田村之図 合箱

蓑虫山人 扇田村之図

紙本淡彩96×115 

17.蓑虫山人 滝図 合箱

蓑虫山人 海景図

紙本淡彩33.2×136.3

◆蓑虫山人・1836〜1900 安八郡結村(安八町)に土岐武平の子として生まれる。14歳のとき、母の死を契機として諸国流浪、旅絵師として生涯を送る。また、旅の途中、亀ヶ岡遺跡の発掘調査を手がけるなどし、考古学の発展に寄与する。明治33年に没。

18.喜田華堂 昔話之図 双幅 朝見香城箱

喜田華堂 昔話之図 喜田華堂 昔話之図

絹本淡彩35.6×99.3

19.喜田華堂 瀑布図 合箱

喜田華堂 瀑布図

絹本淡彩35.4×101.2

20.喜田華堂 飛鶴図 合箱

喜田華堂 飛鶴図

紙本淡彩50.5×126

◆喜田華堂・1802〜1897 不破郡今須(関ヶ原町)に生まれる。京都に出て、岸駒、岸良に学ぶ。岸派の画家として認められる。後年、名古屋にあって、尾張藩の御用絵師を勤める。明治12年に没。

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