明治9年(1876)、名古屋の真宗高田派円福寺の椎尾順位の五男として生まれる。明治38年(1905)、東京帝国大学哲学科卒業。東京帝国大学に、日本で初めて「宗教学」という講座が開設され、その講座を最初に担当した姉崎正治とともに、阿含経典パーリ五部と漢訳四阿含の綿密な対照研究を行い、近代仏教学の発展に大きく寄与した。また、大正11年(1922)、鎌倉光明寺において「第1回共生結衆」決起し、仏教を社会生活のなかで実践する共生(ともいき)運動を興し、「共生」の理念のもと教育界において後進の指導に生涯を捧げた。昭和3年(1928)、第1回普通選挙に愛知1区から立候補し当選、衆議院議員を3期務める。東海中学校長、大正大学学長を歴任。昭和20年(1945)、大本山増上寺82世に就任。昭和46年(1971)没。