芹沢銈介 Serizawa Keisuke

明治28年(1895)~昭和59年(1984)

静岡市本通一丁目に、呉服太物卸商を営む大石角次郎の7人兄弟の二男として生まれる。大正5年(1916)、東京高等工業大学図案科(現・東京工業大学)を卒業。大正7年(1918)、、静岡県立静岡工業試験場に就職。昭和2年(1927)、朝鮮旅行に向かう船中で、雑誌『大調和』に連載中だった柳宗悦の論文『工藝の道』を読み、深い感銘を受ける。翌3年、「民藝館」で出会った沖縄の紅型の美しさに強い衝撃を受け、染色家になることを決意する。また、柳宗悦を師とあおぎ、民藝協会の主要なメンバーの一人となる。昭和4年(1929)、国画会展にろうけつ染めによる「紺地蔬菜文壁掛」(杓子菜文)を初出品、国画奨学賞受賞する。昭和6年(1931)、柳宗悦の依頼により、雑誌『工藝』の装幀を手がける。昭和9年(1934)3月、東京蒲田に一家で転居。昭和11年(1936)、『ドン・キホーテ』収集家カール・ケラーから制作依頼を受けた合羽刷りの『絵本どんきほうて』制作。昭和14年(1939)、4月から5月にかけての59日間、柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司、外村吉之介、柳悦孝、田中俊雄、岡村吉右衛門とともに那覇に滞在、紅型の工房に通うとともに、沖縄の風物に深い感銘を受ける。)、昭和16年(1941)、『法然上人絵伝』制作。昭和30年(1955)、自邸内に、カレンダーをはじめ、カード、うちわ、マッチのラベル、テーブルセンター等を量産する芹沢染紙研究所を設立。昭和31年(1956)、「型絵染(かたえぞめ)」が重要無形文化財に指定され、その保持者(人間国宝)に認定される。昭和49年(1974)、「知恩院御影堂荘厳布」制作。昭和51年(1976)、文化功労者となる。フランスパリの国立グラン・パレで大規模な個展「芹沢銈介展」が開催される。昭和56年(1981)、静岡市立芹沢銈介美術館開館。昭和58年(1983)、『芹沢銈介全集』全31巻(中央公論社)完結。

芹沢銈介 型絵染 頭光踏蓮図
型絵染 頭光踏蓮図
芹沢銈介 法然上人頭光踏蓮図
法然上人頭光踏蓮図
芹沢銈介 芹沢本法然上人繪傳 全三巻
芹沢本法然上人繪傳 全三巻
芹沢銈介 微笑観音
微笑観音
芹沢銈介 楽譜と本
楽譜と本
芹沢銈介 染つけ蓋ものと筒
染つけ蓋ものと筒
芹沢銈介 極楽から来た挿絵のうち「往生要集の○講」
極楽から来た挿絵のうち「往生要集の○講」

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