板垣退助 Itagaki Taisuke

天保8年(1837)~大正8年(1919

土佐藩上士、乾正成の嫡男として高知城下中島町(現在の高知県高知市本町通2丁目)に生まれる。名、正形。通称、退助。戊辰戦争に東山道先鋒総督府参謀として従軍し,会津攻略を指揮した。維新後、新政府の参議に就任。明治6年(1873)、征韓論をめぐって大久保利通らと対立し、西郷隆盛らとともに辞職する。翌7年、江藤新平、後藤象二郎、副島種臣らと民撰議院設立建白書を政府に提出、自由民権運動展開の契機をつくった。明治15年(1882)、岐阜で暴漢(相原尚褧)に襲撃される。その際、「板垣死すとも自由は死せず」の名言を残す。

板垣退助 大江卓宛書簡
大江卓宛書簡

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