会期 平成18年4月4日~5月7日
会場 ギャラリーウートレ
明治31年(1898)、群馬県北甘楽郡富岡町(現在の富岡市)に生まれる。父仁太郎、母ハツ。大正7年(1918)、東京帝国大学(現在の東京大学)文学部に入学。大学にはほとんど行かず、朝倉文夫の彫塑塾に通う。大正13年(1924)、彫刻の勉強のため渡仏。昭和2年(1927)、 この頃、彫刻をやめて絵画制作に本格的に取り組むようになる。昭和6年(1931)第一回独立美術協会展に滞欧作が特別陳列され、当時の美術界に衝撃を与える。帰国。この後、さかんな制作と執筆活動によって、次第に前衛絵画運動の主導者的立場をとるようになる。昭和14年(1939)、独立美術協会を脱会。美術文化協会を結成。昭和16年(1941)、治安維持法違反の嫌疑により逮捕され、世田谷署に拘置され、半年後放免される。以後終戦まで、前衛的な絵画活動をきびしく制限され、戦争協力画制作などに従事する。昭和20年(1945)、東京大空襲の後軽井沢に家族と共に疎開。昭和24年(1949)、美術文化協会を脱退。昭和27年(1952)、文化自由委員会の日本代表として同会主催の国際フェスティバルに参加するため渡仏。翌年、フランスからブラジルへ渡り、サンパウロ、ベレンなどの街に滞在。昭和29年(1954)帰国。美術文化協会に再入会。昭和32年(1957)、第4回日本国際美術展に出品、日本部の最高賞を受ける。美術文化協会を再脱退。昭和40年(1965)、渡米。アメリカ留学中の長男夫妻を訪ねる。ニューヨークに移り制作に励む。ヨーロッパに寄り帰国。昭和53年(1978)、文化功労者に選ばれる。平成3年(1991)、文化勲章受章。平成4年(1992)、聖路加病院にて死去。享年 94歳