会期 平成18年4月4日~5月7日
会場 ギャラリーウートレ
慶応元年(1865)、岐阜県稲葉郡に生まれる。十一歳の時、岐阜の開善院(岐阜市寺町)、則門和尚の弟子となる。十五歳で美濃加茂伊深の正眼寺に掛塔し、始めは泰龍に参じたが、やがてその法嗣大義祖勤に参じ、又禅外道倫にも参じた。明治26年(1893)、二十九歳の時清泰寺に住職する。その翌年大義は遷化する。明治31年(1898)、天龍寺の峨山に参じたが、明治33年(1900)、峨山の遷化に逢い、一旦清泰寺に帰るが翌年、南宗寺の蜻州守拙に参じ、遂にその印可を得た。しかし法は大義を嗣いでいる。明治40年(1907)、大徳寺僧堂家となり、大正8年(1919)、正眼寺僧堂に移った。その時雲衲五十余人が師に従ったという。大正13年(1924)二月二十四日遷化した。号を槐安軒という。