会期 平成18年4月4日~5月7日
会場 ギャラリーウートレ
昭和4年(1929)、松本駅近くで種苗業を営む裕福な一家に生まれる。少女時代より強迫性神経症を病むみ、繰り返し襲う幻覚や幻聴にみまわれる中、それら幻覚や幻聴を描きとめるために水玉や網模様をモティーフに絵を描き始める。昭和16年(1941)、長野県立松本第一高等女学校入学。昭和23年(1948)、京都市立美術工芸学校4年生に編入し日本画を学ぶが旧弊な日本画壇に失望し翌年卒業。帰郷し昭和27年(1952)初個。展昭和32年(1957)渡米。活動の中心をニューヨークに置き、ドナルド・ジャッドやジョゼフ・コーネルらと親交。絵画のみならず男根状のオブジェを既製品にはりつけた立体作品やインスタレーションを始め、反戦などの社会的メッセージをこめたパフォーマンスやボディ・ペインティング、ファッション・ショーなどハプニングと称される過激なパフォーマンスを展開。昭和41年(1966)、ヴェネツィア・ビエンナーレにもゲリラ参加する。「前衛の女王」の異名をとる。昭和43年(1968)、自作自演の映画『草間の自己消滅』が第4回ベルギー国際短編映画祭に入賞、第2回アン・アーバー映画祭で銀賞受賞。昭和48年(1973)に帰国後は小説家・詩人としても活躍、『クリストファー男娼窟』で第10回野生時代新人賞を受賞。昭和62年(1987)、北九州市立美術館、平成元年(1989)、ニューヨーク国際現代美術センターなどで個展を開き、平成5年(1993)にはヴェネツィア・ビエンナーレ日本代表となる。この頃世界的に再評価熱が高まる。平成10~11年(1998-99)年、ロサンゼルス・カウンティ・ミュージアム、ニューヨーク近代美術館、ウォーカー・アート・センター、東京都現代美術館を巡回する大回顧展が開催される。平成12~15年(2000-03)にはインスタレーションを中心とした個展が、コンソルシウム(ディジョン)からはじまり、パリ日本文化会館、アート・ソンジェ・センターなど欧州および韓国を巡回。平成12年(2000)第50回芸術選奨文部大臣賞受賞、平成13年(2001)朝日賞受賞、平成15年(2003)フランス芸術文化勲章オフィシェ受勲、平成16年(2004)年信毎賞受賞。