会期 平成18年4月4日~5月7日
会場 ギャラリーウートレ
明治の中頃、単身渡米後、英国に渡り、ロンドンの美術学校で苦学し画家を目指した若き日本人がいた。彼はのちに、霧のロンドンを詩情豊に描き「霧のMAKINO」と呼ばれようになる。
明治2年(1969)、三河西加茂郡挙母(現・豊田市)に藩士の子として生まれる。名古屋英和学校で英語を学び、明治25年(1892)卒業。翌年渡米し、サンフランシスコにあるポップキンズ美術学校に学ぶ。ヨネ・ノグチ(野口米次郎)と知り合う。明治30年(1897)、パリを経てロンドンに渡る。翌年コールドスミス美術学校、その2年後にはロンドン中央美術学校に学ぶ。明治37年(1904)、原撫松を知り感銘を受け、行き詰まっていた制作活動に意欲を燃やす。明治40年(1907)、『カラー・オブ・ロンドン』を刊行。原画をクリフォード画廊で展示し、その名を知られる。アレクサンドラ女王に特装本が献呈される。翌年『カラー・オブ・パリ』、『カラー・オブ・ローマ』を出版。明治43年(1910)、自らの苦闘の前半生を 『A Japanese Artist in London 』(霧のロンドン・日本人画工倫敦日記、恒松郁生訳、サイマル出版会)出版、ベスト・セラーとなる。この当時のロンドンの日本人画家として最も知られた存在になる。昭和17年(1942)、戦争により引き揚げ船にて帰国。昭和24年頃より制作を再開。昭和31年(1956)、自伝『あさきゆめみし』出版。同年、鎌倉にて逝去。享年86歳。