小堀遠州
Kobori Enshu
- 作家名
- 小堀遠州 だて まさむね
- 作品名
- 水野守信宛書状
- 作品詳細
- 掛け軸 紙本水墨 緞子裂 古筆了信極札 時代箱
本紙寸法51.6×33.5
全体寸法64.5(胴幅)×121.2㎝ - 註釈
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【翻 刻】
又石筆少々可被下候、以上、尊書并蘭二鉢、そめ付
茶碗一、贈被下候、来年花を
さかせ候ハんと、唯今よりかうはしく
存候、又そめ付か様之うつく
しき、終見不申候、茶弁当へ
入候て、風雲流水之身の
たのしみに
可仕候、人形ともを旅宿の
ときにいたし仕候て、とせんハ
遣しましく候、恐惶謹言、廿一日 (花押)
小(堀)遠江守
水(野)河州様(河内守)
尊報 正【読み下し】
尊書ならびに蘭二鉢、染め付け茶碗一、贈りくだされ候。来年花を咲かせ候わんと、ただ今より香ばしく存じ候。また、染め付けかようの美しき、ついに見申さず候。茶弁当へ入れ候て、風雲流水の身の楽しみにつかまつるべく候。人形(ひとがた)どもを旅宿の時にいたしつかまつり候て、徒然(とぜん)は遣しまじく候。恐惶謹言。また、石筆少々くださるべく候。以上。【文 意】
尊書と蘭二鉢、染め付け茶碗一(個)をお贈りくださいました。来年に花を咲かせようと、ただ今より香ばしく思われます。また、染め付けがこのように美しいものを、これまで見たことがありません。茶弁当へ入れて、風雲流水の身の楽しみにいたします。人形(ひとがた)は旅宿の時に使って、無駄にはいたしません。恐惶謹言。(追伸)また、石筆を少々ください。以上。【註記】
人 形……旅に出る前に、自分の病などを移しこみ、身代わりとして川に流し、無事・息災を祈念するための道具。水野守信
天正5年(1577)~ 寛永13年(1637)徳川家康の家臣。江戸幕府旗本寄合、総目付。幼名は新七郎。通称は半左衛門。従五位下、河内守。寛永3年(1626)から寛永6年(1629)まで長崎奉行を務め、キリシタンの取締りを強化し、踏み絵を考案したといわれる。寛永5年(1628)、大坂町奉行、寛永6年(1629)より堺奉行を兼務。寛永9年(1632)、総目付(後の大目付)となる。