堂本印象
Domoto Insho(Doumoto Inshou)
- 作家名
- 堂本印象
どうもと いんしょう - 作品名
- 玩月図
- 作品詳細
- 掛け軸 紙本水墨 緞子裂 共箱 二重箱
本紙寸法57.7×43
全体寸法62×134㎝ - 註釈
【原文】
馬祖与百丈西堂南泉翫月次 祖曰 正当与麼時如何 堂曰 正好修行 丈曰 正好供養 泉拂袖便行 祖曰 経入藏 禅帰海 惟有南泉獨超物外我愛山中月 烱然掛疎林 為憐幽独人 流光散衣襟 我心本如月 月亦如我心 心月両相照 清夜長相尋
【読み下し】
馬祖、百丈、西堂、南泉、翫月の次いでに祖曰く、「正当与麼(しょうとうよも)の時、如何」と。堂曰く、「正好修行」と。丈曰く、「正好供養」と。泉袖を払いて便(すなわ)ち行く。祖曰く、「経入藏、禅帰海。惟、南泉、独り物外に超えて有り」と。我は愛す山中の月、炯然(けいぜん)として疎林に掛かるを、幽独の人を憐れむが為に、流光衣襟(いきん)に散ず。我が心は本(もと)月の如く、月も亦我心の如し、心と月と両(ふた)つながら相照し、清夜長(ことしえ)に相(あい)尋ぬ
【現代語訳】
馬祖と(その弟子である)百丈、西堂、南泉が月見をしていた時のこと。馬祖が「この時にあたり、どういすればよいか」と問いかけた。西堂が応えて云う「正に修行するのによい」と。百丈は云う「正に供養するのによい」と。南泉は袖を払ってさっさと出ていってしまった。馬祖が云うには、「経は藏(智慧)に入り、禅は海(百丈懐海)にまとまるであろう。ただ、南泉だけは、一人世界の境界を超えている」と。ただ南泉だけは、一人世界の境界を超えている」と。
(道元禅師『永平広録』より)私は愛している。山中の月が皎々と輝いて、まばらな林を照らしている光景を。月は、独り静かに暮らしている私を憐れむかのように、私の襟元に照らしている。私の心は、もともと月のように純真で月もまた私の心と同じである。私の心と月とはたがいに照らし合いながら清らかな夜をいつまでも尋ね合っている。
(真山民『山中月』より)