村上華岳
Murakami Kagaku

学びのこころ掲載作品

 村上華岳 1
 村上華岳 2 村上華岳 3
 村上華岳 4
 村上華岳 5 村上華岳 6 村上華岳 7
 村上華岳 8
作家名
村上華岳 むらかみ かがく
作品名
誕生仏
作品詳細
掛け軸 絹本水墨 金襴緞子裂 象牙軸 小野竹喬並びに村上伸箱
  本紙寸法23.7 ×26.6
全体寸法37.7(胴幅)×127.5㎝
註釈

 釈迦牟尼、佛陀と尊称されるゴータマ・シッダルタは、釈迦族の王である浄飯王の妃、摩耶婦人の右腋(わき)からわれわれ人間の世界に降り立ち、自ら七歩歩んで右手を挙げ、「我、一切の天人の中に於て、最尊最勝なり、無量の生死、今に於て尽く。この生に、一切の人天を利益せん」と獅子吼したという。これが仏教の伝えるゴータマ・シッダルタの誕生譚である。今日多く見られる釈迦牟尼誕生仏の像は、この仏伝にならい、右手を挙げ、上半身裸形のものが圧倒的多数を占める。
 この村上華岳の描いた裸の童子は、それらの作例とは異なるものである。しかし、「人間の生きている目的が何にあるか私は未だはっきり言ふことは出来ませんが一番大切なことは世界の本體を摑み宇宙の真諦に達することにあると信じます。」(画論)という華岳の言葉は、宗教の求める究極と同じものである。さらに続けて、「ですから私が繪を描くのもその本體を摑む道の修行に過ぎません。畫室で製作するのは丁度密教で密室に於いて秘法を修し加持護念するのと同じ事だと思ってゐます。」(画論)というのである。華岳にとって描くことは、宗教の「祈り」と同じ行為であった。
 よって私は、この裸の童子の絵を、敢えて「誕生仏」とよびたいのである。

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【後記】
上記、「村上華岳について」は、2005年6月に私のブログ「美術館マンスリー」に投稿したもので、この「学びのこころ」に引用するのは二番煎じで、考えていたことも今よりもさらに浅薄であると思うのですが、またあらためて華岳の著した「画論」を読んでみて、その時とは違う感慨があり、それも、その時なりに村上華岳に関心を持って「画論」を読み考えたことが私なりには土台にあるのだから、二番煎じには違いないが、それも必要であったと個人的には思っています。
 さて、あらためて「画論」を読み、2005年当時に華岳の心持ちについて甘いと感じたことが、実は華岳の信仰の深さの表れなのではないかと思います。また以前感じなかった愛おしさを華岳という人間に感じ、華岳の観音さまの絵が欲しいとより強く願うようになりました。華岳の観音さまを眼の前にすれば、きっと私の不浄なこころも洗われるに違いない。それは、弁栄上人の観音さまを前にしても同じように感じることです。
 今回の「学びのこころ」は、観音さまではなく裸の童子ですが、この作品には観音さまの表面に表れるような甘美な眼差しはありません。あるものは、ただただ穢(けが)れのない天真爛漫さ、無垢な明るさです。私は、この童子を釈迦(誕生仏)だとしたのですが、われわれ人間の童子だって構わないわけです。人間も生まれたばかりの童子なら迷いもなけければ穢れもない。私は、甘美な眼差しといいました。それは華岳が観音さまを愛慕してやまないから、華岳の描く観音さまは、うっとりと甘美な表情をなさるのです。弁栄上人の言葉を借りれば、「彼は実に美なり愛なり。我等が霊性は之を愛慕して益ヽ高遠に導かる。彼は最も遠きに在(あっ)て而(しか)も最も邇(ちか)くして、常に我等を向上せしむ。彼を葵心(きしん)し愛慕するは奥底(おうてい)の霊性より衝動する力なり」(人生の帰趣)。彼とは如来、如来を愛慕させるのは、われわれの奥底にある霊性だというのです。
 華岳の描くこの裸の童子は、華岳の霊性の顕現ともいえるし、あるいは、遠く母の元に忘れてきたわれわれ自身の姿かもしれません。

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