韓天寿
Kantenju
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- 作家名
- 韓天寿かんてんじゅ
- 作品名
- 雪中夜景山水図
- 作品詳細
- 掛け軸 紙本水墨 緞子裂 大雅堂定亮箱
本紙寸法29.4×103cm
全体寸法49×177cm - 註釈
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※画賛の筆者は、文化13年(1816)に『元百家絶句』を編集した朝長昭徳ではないかと推定いたします。
披図雪霽月華懸 図を披くに 雪は霽れ 月華懸かる 下有清渓乗興船 下に清渓 興に乗ずるの船有り 写出山陰富風景 写し出す 山陰 風景に富むを 可知尋戴到門前 知るべし 戴を尋ねて門前に到るを 韓大年画 韓大年、画す 城懋題
《現代語訳》 画幅を開くと、そこに描かれた情景は、雪がやんで晴れ、夜空には月が懸かって光を放っている。この画の下方には、清らかな渓谷が続き、そこには王子猷が興に乗じて戴安道を尋ねる時に乗った船が描かれている。この画幅には、王子猷が山陰の道を行った時の、次々に移り変わる豊かな風景が描きだされており、王子猷が戴安道を尋ねて門前まで行き着いたこともうかがい知ることができる。
《補記》 この画賛は、『世説新語』任誕篇47、「王子猷、山陰に居り、夜大雪、 忽ち戴安道を憶ふ。時に、戴、?(セン)に在り。便ち夜小船に乗りて之れに就く。宿を経てまさ方に至り、門にいた造るも前まずして返る。人、其の故を問ふ。王曰はく、「興に乗じて来たり、興尽きて帰る。何ぞ必ずしも戴を見んや。」及び、『世説新語』言語に「山陰道上、応接不暇」(山陰の道を行くと、次々に移り変わる山川の風景がみな秀抜で、応接にいとまがない=すぐれた風景の多い意 )より、王子猷と戴安道の故事に因んだもの。
江戸時代中期の文人、韓天寿(1727~1795)は、中国の書画研究と古法帖の蒐集とその板刻に情熱を傾けた、書家、画家として知られるが、その事績については詳しくわかっていない。この雪中夜景山水図は、伊孚九や池大雅を模した簡素な絵画を多く残すなかで、池大雅、高芙蓉とともに、富士山、立山、白山に登り、「三岳道者」とも号した文人画家韓天寿の優れた技量を示す、新発見ともいうべき逸品である。