伊藤明瑞
Itou Meizui
- 作家名
- 伊藤明瑞 いとう めいずい
- 作品名
- 詩書
- 作品詳細
- 六曲一双屏風 紙本水墨 縁本金箔
本紙寸法54×136.5
全体寸法(片双)高さ173.5×全幅349㎝ - 註釈
-
【読み下し】
渓壑回姿不待邀 渓壑姿(けいがくすがた)を回(かい)し 邀(むか)ふるを待たず
水邊籬荷點瓊瑤 水辺の籬荷(りか)瓊瑤(けいよう)を点ず
江南駅使傳春信 江南の駅使 春信(しゅんしん)を伝へ
灞上寒繧記雪橋 灞上(はじょう)の寒繧(かんうん)雪橋(せっきょう)を記す
帯月未蒙癡蝶妬 帯月(たいげつ)未(いま)だ蒙(こうむ)らず 痴蝶(ちちょう) の妬(と)
舞煙只許乳鶯調 舞煙(ぶえん)只(た)だ許す 乳鶯(にゅうおう)の調(しらべ)
両為砕侶時詩伴 両(とも)に酔侶(すいりょ)と為り 時に詩を伴(とも)とすれば
笑然金楼佇何嬌 笑然(しょうぜん)たる金楼 佇むこと何ぞ嬌(きょう)たる
大正乙卯年抄す 伊藤明瑞(印)【現代語訳】
深い谷は次々と姿を変え、景観を留めることはない。水辺に面した籬(垣根)の蓮池には、美しい玉(水紋をいうか)が点っている。江南からきた使者は南はもう春だと伝えるが、君を送るこの灞上の橋(中国西安郊外にある川のことで、そこに架かる橋まで旅立つ人をここまで見送った)には雪が残り、空には寒々とした雲が幾重にも濃淡を描きかかっている。いつしか夜となり、月の光は蝶の舞い(雪)に妨げられることなく輝いている。舞い立つ煙の中でただ、聞こえてくるのは生まれたばかりの鶯の調べ。君と僕、二人はともに酔客となり、詩を詠みあって時を伴とすれば、このにこやかな金色の楼閣の、何とあでやかに佇むことか。
大正乙卯年(四年・一九一五)抄す 伊藤明瑞 ・瓊瑤(けいよう)・・美しい玉のこと。
・繧(うん)・・同一の色を濃と淡を幾重のみ順に描くさま。【読み下し】
有人如鶴立伶俜 人有(ひとあ)り鶴の如く 立つこと伶俜(れいへい)
跡雪巡簷受處停 雪に跡(あと)して巡簷(じゅんえん)し 浅処(せんしょ)に停(とど)まる
縹緲神交雲澹泊 縹緲(ひょうぼう)たる神交(じんこう) 雲澹(うんたん)にして泊(はく)し
玲瓏心盒水清冷 玲瓏(れいろう)たる心盒(しんごう)水清して冷かなり
氷甌合向尊前撥 氷甌(ひょうおう)の合向(ごうこう)尊前(そんぜん)に撥(は っ)し
鉄留那堪伸外程 鉄留(てつりゅう) 那(なん)ぞ堪(た)へん 伸外(しんがい) の程(ほど)
徼月黄昏畫旋上 月を徼(もと)むれば 黄昏(こうこん)旋上(せんじょう)に画(かく)し
楊州詩夢悦将醒 楊州詩夢(ようしゅうしむ)悦(えつ)なるも将に醒(さめ)んとす
大正乙卯年抄す 伊藤明瑞(印)【現代語訳】
人がいて鶴のように、ひとり淋しく立ち、雪に跡をつけ軒先を巡り、浅処(雪の浅く積もった処)に立ち止まる。縹緲(ぼんやり)と神に仕えているが、空に漂う雲のように淡泊で、玲瓏(汚れなくきれい)とした心の内は、冷たく澄んだ水のように清い。尊前に、氷の張った水入れを並び置けば、カラリと音を発して氷が溶ける。固い鉄とて、叩き伸ばせば同じこと、どこまで堪えきれるやら。一人月を求めて歩めば、黄昏の中、月はゆっくりと空を回り画く。いつしかうとうとし、夢に揚(楊)州をさ迷い、詩を口ずさむ。だがこの心地よさもやがて目覚めとともに覚めていく。
大正乙卯年(四年・一九一五)抄す 伊藤明瑞・伶?(れいへい)・・おちぶれたさま、ひとりぼっちのさま。
・縹緲(ひょうびょう)・・ ぼんやりとしてつかまえどころのない様。
・澹泊(たんぱく)・・あっさりとして欲のない様。淡泊に同じ。
・玲瓏(れいろう)・・金属のふれあい出す澄んだ音色、またピンとはりつき澄んだ美しさをいう。
・甌(おう)・・水入れ、小さな水瓶のこと。伊藤明瑞の優品。
大正4年(1915)の作