黄檗木庵
Mokuan
- 作家名
- 黄檗木庵 もくあん
- 作品名
- 偈頌
- 作品詳細
- 掛け軸 紙本水墨 金襴緞子裂 象牙軸 古筆了仲箱
本紙寸法78×31.8
全体寸法80(胴幅)×125.8㎝ - 註釈
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【翻刻文】
上将軍賜建大雄宝
殿、委青木甲斐守
監督、然守以其事
付道説善士効力、
説則兢兢勤勤忽繋
月而工甫竣、皆(賢)良之
妙用以致然也。即述
偈以示、時戊申冬也。
有能并有用、匪比世慵常、
竭力争前任、忠心不覆蔵、
兼之勤且敏、復以猛而懭、
繋月成紺宇、荘厳尽讃揚、
黄檗木庵山僧
偈示
道説善士【読み下し文】
将軍賜ひて、大雄宝殿を建て、青木甲斐守の監督に委す。
然して守、其事を以て、道説善士効力に付す。
説則、兢兢勤勤として忽ちに月を繋いで、工甫めて竣わる。
皆(賢)良の妙用の以て然致す也。
即ち偈を述べて以て示す。時に戊申冬也。有能并びに有用、世の慵常に比ぶるにあらず、
力を竭くし前任を争ふ、忠心覆い蔵さず、
兼ねて勤且つ敏、復以て猛にして懭、
月を繋いで紺宇を成す、荘厳して讃揚を尽くす、
黄檗木庵山僧偈に示す
道説善士【現代語訳】
将軍が(経費)を下さり、大雄宝殿を建てようと、青木甲斐守重兼に監督を任せた。
そこで甲斐守はその事を道説善士に委嘱した。
道説は恐れ謹んで働いたので、たちまち数ヶ月にして工事が竣工した。
すべて賢者のたくみな働きによるものである。
そこで偈を作って与えよう。この時、寛文八年(一六六八)戊申の冬である。道説善士は有能であって有用である。世の常人とは比較にならない。
力をつくして任務を遂行した。そのまごころは隠しようもない。
その性格は勤勉にして敏捷、また勇敢にして寛容である。
数ヶ月で仏殿を竣工し、荘厳を調えて讃歎を尽くした。
黄檗木庵山僧
偈に示す
道説善士寛文8年(1668)の黄檗山万福寺大雄宝殿竣工のおりに、第二代の住持木庵性瑫禅師から、道説善士なる人士に与えられた偈頌である。「大雄」とは釈尊のことであり、大雄宝殿は釈迦をまつる、いわば万福寺の本堂である。
文中にあるように、寛文7年に将軍家綱より金二万両と南方の木材(チーク材)が寄進され、隠元禅師に帰依していた摂津麻田藩主青木重兼が監督となって建造が開始された。寛文8年3月25日に棟上げし、同年12月8日(釈迦成道の日)に竣工した。
この大雄宝殿は、現在にいたるまで万福寺の諸伽藍の中心であり、その建造は同寺の歴史においてまさに記念碑的な事業であった。本文の内容を見ると、建造の監督であった青木甲斐守重兼が、建築関係の実務を道説善士に委任したように読みとれる。そのことからすれば、道説は建築に関係する人物かと推定されるが、残念ながら人物の特定にはいたっていない。同じ偈頌が『木庵全集』第五巻(2219頁~2220頁)に所収され、そこでは、「示道演・道説二善士有引」とあり、道演と道説の二人に示された偈であったことがわかる。大雄宝殿の建立という大事業には、地元大和田村の大工秋篠茂左衛門が関係したことが知られているが、この偈頌からは、秋篠だけではなく、道演・道説といった、多くの人士がそれに従事していたことがわかる。