柳宗悦
Yanagi Muneyoshi/Soestu
- 作家名
- 柳宗悦やなぎ そうえつ
- 作品名
- 原稿
カトリック界のために惜しむ
― ベルメルシュ神父の件 ―
(柳宗悦・宗教選集5所収) - 作品詳細
- 註釈
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私は犯罪に関する事件そのものについては何も書くことはないのだが、この事件が不幸な終末を告げたそのことを、カトリック界のために惜しい気がしてならぬ。何か夜逃げでもしたような、変な後味を誰にも残した事件で、公明たるべき、また思慮深かるべきカトリック司祭たちのとられた態度にも遺憾を感じる。
それについて私が思い起こすのは左の物語である。
この話しの出典を明記すべきだが、私は病中で書斎に行って調べ得ぬ身とて、今は記憶を辿るより仕方がないが、或る家で法事があって、坊さんを招いて法要を勤めて貰った。済んでからその家の主人が佛壇の引出しに入れておいた金子が紛失しているのに気づいた。どう探しても見当たらない。主人はまさかと思ったが、その坊さんを疑い出した。佛壇の前には坊さん以外には誰もいなかったからである。
主人は必定この坊さんが盗んだに違いないと大いに腹を立てて、早速寺へ出かけて行ってきびしく談判に及んだ。ところが坊さんは別に慌てるでもなく、腹を立てるでもなく、「ああ、そうか、そうか」と言って金子を財布から取り出して主人に渡した。主人は「それみたことか」と罵って、帰るなり村中にその坊さんの悪口を盛んに言いふらしたので、たちまち大変な話題になった。ところが、この悪評判が界隈にひろまった時、一人の男が出てきて主人に、「実は私が盗みました」と打ち明けてあやまった。その男は家の下男であった。困ったのは主人である。すぐ寺を訪ねて、平身低頭して真犯人の現れた一部始終を話して坊さんにお詫びし、金子を渡した。坊さんはこれを聞いて怒るでもなく、また悦ぶでもなく「ああ、そうか、そうか」というだけで、さながら何事もなかったような静けさである。その時以来、村民のこの坊さんに対する信頼の情は、ひとしを増したという。そうして例の盗人も、これをきっかけに、佛縁を結んで寺通いをするようになった。
さて、これに似た話は真宗の妙好人伝の中でも、私は幾度か読んだことがある。もしべ神父にも同じような心境があって、警察からの取調べにも「ああ、そうか、そうか」で申し立てを素直に聞き入れる心の余裕があったら、よもや神経衰弱などにならずに、またこっそり帰国などする必要もなく済んだろうと思われてならぬ。そうして病気を理由に、教会側も夜逃げに近いようなことまで、神父にさせずにすんだろうと思われてならぬ。
大体、悟りを得た佛教の坊さんや信徒たちには、よく恬淡な行為がある。例の良寛和尚が盗人に入られて、何もかも盗られた時、月を眺めて、「盗人の盗り残したる月見哉」と読んだというが、ベ神父にも、これほどの心の平静があったら、疑われたその不幸を、即座に幸福に切り換え得たであろうと思われてならぬ。それとも、調べられて神経衰弱になるようなのが、カトリック神父の信仰生活なのであろうか。もしそうなら、普通の人間と、どこが違うのであろうか。また疑ってみれば、病気になったり、黙秘まで行ったり、夜逃げしたりしては、却って黒のしるしだと世人疑われても致し方あるまい。
いずれにしても、ベ神父はたとえ白でも、今度の事件はカトリック界全体にとっては、大変な黒星となったことを惜しく感じる。それゆえ黒白いずれにしてももし宗教家側の態度がいずれも立派であったら、却ってカトリックの株は大いに上がったろうと思われるが、残念なことに今度の事は、話しの発端から終末に至るまで、どこからも宗教的深みを汲み取り得ないではないか。これが私には不思議で残念でならぬ。 法王庁の見解如何。