大久保利通
王右丞七絶

大久保利通 1
大久保利通 2
大久保利通 2大久保利通 2
大久保利通 2大久保利通 2
作家名
大久保利通おおくぼ としみち
作品名
王右丞七絶
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 緞子裂 野村素介識箱
本紙寸法53.7 ×159.2
全体寸法(胴幅)68.8×224㎝
詳細

【原文】 渭城朝雨?輕塵
客舎靑靑柳色新
勸君更盡一杯酒
西出陽關無故人
(送元二使安西 王維)
【訓読文】
渭城(いじょう)の朝雨軽塵を?(うるお)す
客舎青青柳色新たなり
君に勧む更に尽くせ一杯の酒を
西のかた陽関(ようかん)を出づれば故人無からん
【訳文】
(出発の朝)、渭城の町に通り雨が降り、軽く舞っていた砂ぼこりをしっとりと濡らした。
客舎にある柳は、青々として輝いている。君にさらに、一杯の酒を飲み尽くすように勧める。西の陽関を出たら飲み交わす友もいないだろう。

野村素介
天保13年(1842)~昭和2年(1927)

周防国(現在の山口県の属する)吉敷郡長野村(現在の山口市大内長野)に長州藩士有地留之助の次男として生まれる。幼名、範輔。字、絢夫。号、右仲、素軒。 はじめ、藩校明倫館、江戸の長州藩上屋敷内の有備館で学び、さらに儒学者塩谷宕陰に漢籍、経書、歴史を学び。小島成斎に書道を学ぶ。文久3年(1863)、長州藩士野村正名の養子となる。文久2年(1862)、帰国して明倫館舎長となる。幕末に際し、尊皇攘夷を唱え国事に奔走する。明治元年(1968)、山口藩参政兼公議人兼軍政主事となり、翌年に権大参事となる。明治4年(1871)、ヨーロッパ諸国を視察。帰国後、茨城県知事、文部大丞、教部大丞、文部大書記官、元老院大書記官、元老院議官などを歴任。明治23年(1890)、貴族院議員、錦鷄間祇侯となる。正二位勲一等 男爵。