藤田東湖
Fujita Touko
- 作家名
- 藤田東湖ふじた とうこ
- 作品名
- 詩書
- 作品詳細
- 掛け軸 紙本水墨 緞子裂 宮原節菴識箱
本紙寸法53 ×128
全体寸法(胴幅)67.8×210㎝ - 註釈
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宮原節菴
文化3年(1806)~明治18年(1885)備後尾道の人。名は龍。字は士淵。別号に、潜叟、易安、池南学人。初め頼山陽に師事して詩文を修め、師の死後、江戸へ出て昌平黌に学ぶ。天保12年(1841) 、京都で学塾を開く。
【原文】
瓢兮瓢兮我愛汝
汝嘗熟知顏子賢
陋巷追隨不改樂
盍以美祿延天年
天壽有命非汝力
聲名猶附驥尾傳
瓢兮瓢兮我愛汝
汝又嘗受豐公憐
金裝燦爛從軍日
一勝加一百且千
千瓢所向無勍敵
叱咤忽握四海權
瓢兮瓢兮我愛汝
悠悠時運幾變遷
亞聖至樂誰復踵
太閤雄圖何忽焉
不用獨醒吟澤畔
只合長醉伴謫仙
瓢兮瓢兮我愛汝
汝能愛酒不愧天
消息盈虚與時行
有酒危坐無酒顛
汝危坐時我未醉
汝欲顛時我欲眠
一醉一眠吾事足
世上窮通何處邊
右瓢兮歌 東湖酒徒(謫居詩存)
【訓読文】
瓢(へい)や 瓢や我汝(なんじ)を愛す
汝嘗(かつて)熟知す顏子(がんし)の賢
陋巷(ろうかん)追隨して楽しみを改めず
盍(なんぞ)美禄を以て天年を延ばさざる
天壽命(めい)有り汝が力に非ず
声名猶(なお)も驥尾(きび)に附して傳ふ瓢や瓢や我汝を愛す
汝又嘗(か)つて受く豊公の憐れみ
金裝(きんさう)燦爛たり從軍の日
一勝一(いつ)を加へて百且(かつ)千
千瓢(せんぺい)向ふ所勍敵(けいてき)無く
叱咤忽(たちまち)握る四海の權(けん)瓢や瓢や我汝を愛す
悠悠たる時運幾(いく)変遷
亞(あ)聖の至楽誰か復(また)踵(ふみ)つがん
太閤の雄圖(ゆうと)何ぞ忽焉(こつえん)たる
用ゐず独醒(どくせい)澤畔(たくはん)に吟ずるを
只(ただ)合(まさ)に長く醉(え)ひて謫仙(たくせん)に伴ふべし瓢や瓢や我汝を愛す
汝能(よ)く酒を愛して天に愧(は)ぢず。
消息盈虚(えいきょ)時と與(とも)に行なふ
酒有れば危坐(きざ)し酒無んば顛(てん)ず
汝危坐する時我未だ醉はず
汝顛(てん)ぜんと欲する時我も眠らんと欲す
一醉一眠吾が事足たる
世上の窮通(きゅうつう)は何(いづれ)の處の邊(へん)ぞ
○瓢兮の歌 東湖○○【現代語訳】
瓢箪よ瓢箪よ、私はお前を愛す。
お前は顔回の賢なることをよく知っていて、路地裏のような処についてまわり、顔回の楽しみを己の楽しみとした。どうして酒を飲んで寿命を延ばそうとはしなかったのか。
とはいえ、寿命は天命であって、お前の力ではどうにもならない。名声は、すぐれた人(孔子や太閤など)に従って行けば、何かはなしとげられるものだ。瓢箪よ瓢箪よ、私はお前を愛す。
お前はかって豊太閤の慈しみを受けた。金色に輝く姿をもって従軍し、戦いに一勝する毎に馬印に一瓢を加え、その数も百から千にも増え、千成瓢箪の向うところ既に強敵はなく、太閤は大声叱咤してたちまちのうちに天下統一の事業を為し遂げたのであるが、これも、お前にとっては名誉なことであろう。瓢箪よ瓢箪よ、私はお前を愛す。
長い歳月の間の世の成り行きの中で幾変遷もあったであろう。顔回のようなこの上ない楽しみ方を、今の世の人でまた誰か継ぐものがあろうか。
太閤の、海外にまで遠征した雄図も、「露と落ち露と消えぬるわが身かな浪華のことは夢の又夢」 と歌った如く、太閤が没すると同時に終わってしまったことは何とも儚いことであろうか。
そうかといって、楚の屈原のように、人が酒に酔っている時も飲まず、一人国家の事のみを憂えて行く行く洞庭湖畔に詩を吟じ、世をはかなんだ末に泪羅の淵に身を投げるというような事はしない方が良いだろう。
それよりも、大いに飲んで、大いに酔って、謫仙人と呼ばれた李白につれだった方がよい。瓢箪よ瓢箪よ、私はお前を愛す。
お前はよく酒を愛するが、酒を愛することは李白の言った通り天地に愧じることではない。お前は常に盛衰の繰り返される天地にあって、時に随って身を処して来た。
酒があれば正坐し、酒がなくなればころぶ。
お前が正坐している時は私は未だ酔わない。お前がころべば私も眠くなる。酒によって眠る。私はそれで充分である。世間の栄達や困窮のことなど、私の知ったことではない。