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寛政7年(1795)~安政5年(1858)
岐阜生まれ。父は大垣藩士稲津丈太郎長高。名は卯、字は伯兎。号は詩禅。後、名を改めて、孟緯、字は公圖または無象。十二歳で両親を失う。一九歳で江戸に遊学し、山本北山塾に入門。十年後に帰郷し「梨花村舎」を開く。文政五年から約十年間、妻紅蘭を伴って、西日本各地を放浪し、頼山陽その他の文士と交流。天保三年、江戸にて「玉池吟社」を開く。門弟には、佐久間象山もいた。弘化三年、京都に居を移す。嘉永六年、ペリー来航後、吉田松陰、梅田雲濱らとの交流を深め、尊皇攘夷運動の中心的役割をになう。安政の大獄直前の安政五年、京都にて急死する。尊皇家。漢詩人。
紙本 全体に小ヤケ
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