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1849(嘉永2)~1917(大正6)
京都に下田耕作の次男として生まれる。中川重興の養子となる。名は勇蔵・登代蔵、字は重麗、号は紫明、霞城。学校教員を経て日本新聞、京都中外電報、大阪朝日新聞に勤務する。明治29年に水落露石らと京阪満月会を興す。同37年に俳誌「懸葵」を刊行。編著に「俳諧美学」「触背美学」、句集に「四明句集」など。
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