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1871(明治4)~1935(昭和10)
愛媛、大洲藩の儒官であった武田敬孝の四男として東京に生まれる。名は桜桃四郎。別号桜桃、修古庵。攷玉社、三田英学校、神田英学院に学び、博文館に勤務する。「少女世界」「文芸倶楽部」などの編集を経て、毎日電報社、中外商業新報の社会部長を歴任する。尾崎紅葉を中心とした「紫吟社」に属し、のち文芸倶楽部俳句欄の選者となる。内藤鳴雪、巌谷小波らと「南柯」を主宰し、俳誌「南柯」を発刊した。著に句文集「鶯塘集」など。
絹本 全体にヤケ
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