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1867(慶応3)~1957(昭和32)
愛媛松山に生れる。本名は正之。幼名、喜久馬。明治14年に松山中学に入学するが、正岡子規と謀って中退する。二年後に上京し、明治22年には、共立学校(後の開成中学)を卒業して故郷に帰り、海南新聞社に記者として入社する。子規と共に月間俳誌「ほととぎす」を創刊。その後、海南新聞の編集長になり、松山市会議員にも四度選ばれる。明治39年には伊豫日々新聞を再刊して社長になり、20年間新聞発行する。一方では、子規研究およびその顕彰を続けた。
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