税所敦子 Saisho Atsuko

文政8年(1825)~明治33年(1900)

京都の宮家付武士(宮侍)林篤国の娘。幼児より、八田知紀、香川景樹、福田行誡に接し、和歌への関心を持ち、10歳の頃より千種有功に入門する。弘化元年(1844)、20歳のとき同門の16歳年上の薩摩藩士税所篤之の後妻となる。嘉永5年(1852)、28歳で夫篤之と死別。翌嘉永6年、薩摩の姑に仕えるため、一人娘を連れて、姑と篤之の先妻の娘2人、弟夫婦とその子どもたち8人のいる薩摩に赴く。やがて敦子の孝行する姿と和歌の才能は藩内に知られ、藩主島津斉彬の世子哲丸の守役に選ばれた。のちに島津久光の養女貞姫に従って東京に移る。明治8年(1875)、高崎正風の推薦により宮中に出仕し、権掌侍に任じられ明治天皇、昭憲皇太后に仕えた。著書に歌集『御垣の下草』、紀行文集『心つくし』などがある。

柳原愛子 税所敦子 桜鶴自画賛双幅
桜鶴自画賛双幅

画像をクリックしてください