菅井梅関Sugai Baikan
天明4年(1784) ~天保15年(1844)
仙台城下の商家に生まれる。名は、智義、岳輔。号は、はじめ東斎、のち梅館、梅関。瑞鳳寺古梁紹岷(南山禅師)に詩文を、仙台藩絵師根本常南に画を習う。常南の勧めに従い江戸の谷文晁を訪ねるが、受け入れられず、同郷の画家東東洋を頼って京都に上る。京都滞在中、偶然出会った江稼圃の作品に感動し、教えを請うため長崎に入る。以来、江稼圃、その弟の江芸閣の指導を受け、木下逸雲、田能村竹田、頼山陽らと交流する。晩年は、故郷仙台に戻るが、生活が窮乏し、最後は井戸に身を投げて自死した。菊田伊洲、東東洋、小池曲江とともに仙台四大画家と称される。
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