柳原白蓮 Yanagihara Byakuren
明治18(1885)~昭和42(1967)
伯爵柳原前光(サキミツ)の次女で東京麻布に生れる。大正天皇の従姉妹に当たる。本名、燁子。明治の時代を奔放に生きた、近代日本を代表する女流歌人。明治33年、華族女学校中退、北小路資武と結婚するが、明治38年に離婚。明治44年、英和女学校卒業。明治45年、九州の炭鉱王伊藤伝右衛門と再婚、『あかがね御殿』と呼ばれる豪華な大邸宅で「筑紫の女王」と呼ばれた生活を送ります。佐々木信綱の門下生となり歌人として注目されていたは燁子は、彼女の戯曲『指蔓外道(しまんげどう)』の上演依頼のために訪れた、宮崎龍介と出会います。宮崎龍介は、支那革命で孫文を助けた宮崎滔天の息子で、普選運動、労働運動に没頭していた東京帝大法学部に通う学生でした。まだ人妻の恋愛が姦通罪として制裁されていた時代、さらに、あきこは30代半ばで、宮崎は彼女よりも6歳年下でした。二人は恋に落ち、燁子は宮崎の子を宿します。燁子は、『私は金力をもって女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の訣別を告げます』と言う公開絶縁状を朝日新聞に掲載し、夫の伊藤は毎日新聞にその反論を載せ、世論の注目を浴びます。この結果、燁子は華族からの除籍と総ての財産を没収されますが、伊藤との離婚が成立し、宮崎龍介と結ばれ、後の半生をともにします。歌人柳原燁子の波乱に満ちた人生は、多くの戯曲となり今も語り継がれています。
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