後藤瑞巌
Gotou Zuigan
- 作家名
- 後藤瑞巌 ごとう ずいがん
- 作品名
- 関 南北東西活路通
- 作品詳細
- 掛け軸 紙本 共箱
作品寸法30x104.5㎝
全体寸法37.4x178.5㎝ - 註釈
《 関 南北東西活路通 》
碧巌録(北宋初期の雲門宗の雪竇重顕が「景徳伝灯録」などに収録されいた語録から百則を選んだ公案集から、北宋晩期の圜悟克勤が垂示・著語・評唱を加えた禅の教本)第八則より。大徳寺開山大灯国師宗峰妙超禅師が師の大応国師南甫紹明禅師より与えられた「雲門の関」の公案を透過したときの投機の偈(悟得の詩)。一回透得雲関了 ひとたび雲関を透得し
南北東西活路通 南北東西活路を通ず
夕処朝遊没賓主 夕処朝遊賓主を没し
脚頭脚底起清風 脚頭脚底清風を起す唐の翠巌令参禅師の「私は夏安居(修行)のあいだ皆さんにいろいろと説法してきたが、仏法を誤って説いたりすると、眉やひげが抜け落ちるというが(翠巌眉毛)、まだ私の眉毛は有りますか?」という説法に対し、保福従展禅師は「賊となる人心虚なり」と答え、長慶慧稜禅師は「生ぜり」と答えたが、雲門文偃禅師はただ「関」と答えた。これが「雲門の関」で、「関」とは何かということです。この「関」から「関所」だとか「玄関」という、関門、入り口を意味する言葉ができたのですが、「雲門の関」の「関」の意味するとこは、「関」を超える、超えて向こうに行くということ、そのものの問いということではないのでしょうか。ともかく《南北東西活路通》というのは、「ひとたび雲門の関を通過してしまえば、あとは東西南北自由自在の境地である。」ということで、大徳寺開山大灯国師宗峰妙超禅師の感慨溢れる偈であります。