永禄11年(1568)~承応3年(1654)頃
上野国(現在の群馬県ぼ領域)に生まれる。出家して、播揚物外、その法嗣の渭川周瀏に参じ、上野長源寺の国宗誉の法を嗣ぐ。その後、相模成願寺住職となるが、辞してから後、曾我山中の岩窟に済み、さらに真鶴山中の厳洞に移った。晩年は遠江石岡に移り、そこで墓穴をほらせ,その中で入寂したという。それに因み、「穴風外」と称された。達磨、布袋の図を多く残し、近世禅林美術の先駆として位置づけられる。
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