円空 Enku

寛永9年(1632)~ 元禄8年(1695)
美濃国(岐阜県)に生まれる。(生地は羽島市上中町との説が有力)慶安3年(1650)19歳、長良川の大洪水で母を失ったとされる。承応3年(1654)23歳、某寺を出遁。(『近世騎人伝』)寛文3年(1663)32歳 、根村神明社(岐阜県郡上市)の神像三体(天照大神・阿賀田大権現・八幡大菩薩)を造顕(棟札)。寛文4年(1664)33歳、白山神社(郡上市福野)の阿弥陀像を造顕。 寛文6年(1666)35歳、北海道を巡り多数の仏像を彫る。以下、代表的造顕は、年代順に、鉈薬師寺堂(名古屋市千種区)の十二神将等の諸像、白山神社(関市)、白山三尊、黒地神明社(郡上市)の天照皇大神像、栃尾観音堂(奈良県天川村)の諸像、龍泉寺(名古屋市守山区)の諸像(千数百体)、荒子観音寺(名古屋市中川区)の仁王像一対と千体仏等、円観坊(栃木県日光)の十一面千手観音像、千光寺(岐阜県高山市)の諸像、等覚寺(長野県南木曽町)の天神像・弁財天、太平寺(滋賀県米原市)の十一面観音像など。元禄3年(1690)59歳、現在の高山市上宝町において、十一面観音など三体を造顕、その内の今上皇帝像の背面に誓願の10万体造顕達成を記す。また、前年の元禄2年、滋賀県大津市園城寺の尊栄大僧正から「授決集最秘師資相承血脈」を受ける。また、「被召加末寺之事」の書面を受け、自坊の関市池尻の弥勒寺が天台宗寺門派総本山園城寺内霊鷲院兼日光院末寺に召し加えられる。元禄8年(1695)64歳、弟子の円長に「授決集最秘師資相承血脈」を与え、同年、7月15日、長良川畔で自ら食断ち、即身成仏する。円空は、12万体の彫像をつくることを発願し、近畿以北の各地を行脚、神社仏閣、民家などに多くの円空仏を残す。

円空 如来像
如来像

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