明暦3年(1657)~享保15年(1730)
京都の人。俗姓、下村。字、総持。号に巨妙子、小心子、蓮華童子、金剛童など。10才で紫野清涼院に投じ、天倫宗忽の法を継ぐ。貞享3年(1686)、大徳寺塔頭高桐院輪番に補せられ、宝永3年(1706)、大徳寺27世に出世。泉南禅楽寺、江戸東海寺勝幢庵等にも住した。表千家六代覚々斎の参禅の師。著作に「霊会日鑑」など。臨済宗の僧。
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