文化6年(1809)~明治21(1888)
浄土宗伝通院学頭、増上寺法主、知恩院門主、浄土宗管長。
東京豊島に生まれる。通称、高徳。諱、初め大堂。字、普阿。号、建蓮社立誉。6歳で小石川伝通院にて出家。19歳の時、京都に出て、嵯峨正定院立道に宗学を、比叡山慧澄に天台学を学ぶ。排仏毀釈に対し、諸宗の僧を糾合し「東京諸宗同盟会」を組織する。明治13年(1880)、島田蕃根、獅岳快猛らと『縮刷大蔵経』を編纂。
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