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土方久功 Hijikata Hisakatsu

明治33年(1900)~昭和52年(1977)

東京小石川に生まれる。父は陸軍砲兵大佐の土方久路、母の祖父は海軍大将柴山矢八。大正6年(1917)、学習院中等科を卒業するが、父の肺病により高等科へは進まず、約2年間父を献身的に看病する。その間自身も肺病となり茅ヶ崎のサナトリウムに通う。大正13年(1924)、東京美術学校彫塑科卒業。大正15年(1926)、河路柳虹の創刊した詩誌『炬火』の同人となる。大正13年二科展、大正15年院展と落選。昭和4年(1929)、パラオに渡り、以降10年間、日本に帰らず、パラオ島、サテワヌ島を中心に南洋群島で現地人と生活をともにし、絵を描き、木彫を作り、島の民俗学的研究を行う。このときの生活記録が、後に日記風に綴った『流木』(昭和18年)、『文化の果にて』(昭和28年)、民俗譚を収集した『サテワヌ島民話』(昭和)28年)、『パラオの神話伝説』(昭和17年)となる。昭和14年(1939)4月、一時帰国するが、同年8月再びパラオに渡る。昭和17年(1942)3月、パラオ南洋庁へ教科書編纂掛として赴任していた小説家中島敦とともに帰国。昭和19年(1944)9月、岐阜県可児郡土田村(可児市土田)に疎開。昭和23年(1948)3月、東京に戻る。この頃より本格的に、木彫レリーフなど南方を題材にした彫刻の制作を始める。その後は主に個展で作品を発表し、高村光太郎は、「現代化した原始美」と評した。彫刻の制作の他、散文詩集『青蜥蝪の夢』(昭和31年)、絵本『おおきなかぬー』(昭和38年)、『ゆかいなさんぽ』(昭和40年)、『ぶたぶたくんのおかいもの』(昭和60年)、『おによりつよいおれま-い』(昭和50年)などがある。昭和52年(1977)、心不全で死去。満76歳。翌年、『土方久功遺稿詩集』刊行。平成19年(2007)、世田谷美術館で「パラオ -ふたつの人生- 鬼才・中島敦と日本のゴーギャン・土方久功展」開催される。

土方久功 一番小さな顔
一番小さな顔
土方久功 題不明
題不明

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