延享4年(1747)~文政11年(1828)
紀州和歌山城下に町医野呂高紹の三男として生まれる。名は隆、のち第五隆。字は隆年、松齢。別号に矮楳、混斎、十友窩等。若くして紀伊藩儒伊藤蘭嵎に学ぶ。14歳頃京都に出て鶴亭に学んだのち、21歳のときには池大雅に入門。寛政5年(1793)、紀州藩に出仕。祇園南海、桑山玉洲と並び、紀州三大文人画家の一人に数えられる。
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