文久3年(1863)~昭和6年(1931)
父は、伊勢津藩御用絵師で、京都府画学校南宗画副教官を務めた池田雲樵。母は、津藩主藤堂高猷の侍講を務めた斎藤拙堂の娘。本名、勝次郎。明治7年(1874)、父とともに京都に移る。京都府画学校卒業。大正10年(1921)、河野秋邨、田近竹邨、水田竹圃らと「日本南画院」を結成。京都南画壇の重鎮として活躍。
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