今東光 Kon Toukou
明治31年(1898)~昭和52年(1977)
横浜市伊勢町に生まれる。父武平は日本郵船、欧州行路の船長のため、幼少時代は、小樽、函館、横浜、大阪と転々とする。兵庫県の豊岡中学を中退し、以後独学という。大正3年(1914)、上京し小石川の伯父の家に寄宿。「太平洋画会」に通い画家を目指す。東郷青児、関根正二らと親交を結ぶ。大正6年(1917)、室生犀星の詩誌「感情」に詩篇「父の乗る船」を掲載。大正7年(1918)、駒込の佐藤春夫宅で谷崎潤一郎に遇い、以後生涯師と仰ぐ。大正9年(1920)、川端康成と出会う。大正10年(1921)、川端康成らの第六次「新思潮」に参加。大正14年(1925)、『痩せた花嫁』を発表。 昭和5年(1930)32歳で出家得度。天台法師となり比叡山延暦寺で修行し、昭和9年(1934)、比叡山より下り、茨城県安楽寺に入る。昭和26年(1951)、大阪府八尾市中野の天台院住職。昭和32年(1957)、『お吟さま』で第36回直木賞を受賞。昭和40年(1965)、岩手県平泉の中尊寺貫首。昭和43年(1968)、参院議員に当選し1期勤める。著書に『春泥尼抄』『みみずく説法』『こつまなんきん』『弓削道鏡』『悪名』『悪太郎』『蒼き蝦夷の血』『東光太平記』『河内風土記』など。
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