甲斐虎山Kai Kozan
慶応3(1867)~昭和36(1961)
豊後国海部郡臼杵(大分県臼杵市)に生まれる。本名、駒蔵。別号、玉壺道人、梅花道者、酔竹頭陀、苦瓜庵。明治13年(1880)、帆足杏雨に入門。後、京都に出て研鑽。明治33年(1900)、夫人、和里子とともに、「文中園」(後に文中女学校に改称し京都高等女学校と合併、後の京都女子大学)を創設。文人画家。
甲斐和里子 Kai Wariko
慶応4年(1868)~昭和37年(1962)
備後国神石郡(福山市神辺町)に生まれる。父は、浄土真宗本願寺派の勧学、足利義山(1824-1910)。明治26(1893)、同志社女学校(現在の同志社女子大)に入学。明治29年(1896)、同学退学。同年、甲斐駒蔵(虎山)と結婚。明治32年(1899)、仏教精神に基づく女子教育を実践するため「顕道女学院」(後の京都高等女学校)を創設。明治33年(1900)、夫、駒蔵とともに、「文中園」(後に文中女学校に改称し、西本願寺の援助を受けて京都高等女学校と合併する。後の京都女子大学。)を創設。一女学校教師として、昭和2年(1927)に退職するまで学生の指導に当たった。著書に『草かご』、『落葉籠』。京都女子学園の創始者。教育者で歌人。
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