文久3年(1863)~昭和9年(1934)
岐阜松屋町に生まれる。幼名、卯三朗。生家は文具商。初め神谷簡齋の書塾に入り、のち日下部鳴鶴に師事する。明治35年(40歳)頃、中国へ渡り武昌で楊守敬に六朝風を学び、帰朝して京都に竟山書塾を開く。著書に『竟山学古』『臨蘭亭二種』など。
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