賀茂真淵 Kamono Mabuchi
元禄10年(1697)~明和6年(1769)
遠江国敷智郡浜松庄伊場村(浜松市中区東伊場)に賀茂神社の神官岡部政信の三男として生まれる。31歳のころ、荷田春満に入門。万葉集の研究に心血を注ぎ、『万葉集遠江歌考』『万葉解』『万葉考』を著す。春満没後は江戸に出て、8代将軍徳川吉宗の次男田安宗武に仕え、国学を講じた。他著書に『冠辞考』『語意考』『歌意考』『にひまなび』『国意考』『祝詞考』などがある。荷田春満、本居宣長、平田篤胤とともに「国学の四大人(しうし)」の一人と称される。
森繁子宛書状