卍山道白 Manzan-Douhaku
寛永13年(1636)~正徳5年(1715)
備後国(現在の広島県)に生まれる。名、道白。号、卍山、復古道人。俗姓、藤井。10歳の時、龍興寺昭山について出家、のち一線道播に従う。延宝6年(1678)、月舟宗胡に参禅、月舟の法を嗣ぎ、延宝8年(1680)、大乗寺の住持となる。その間、12年に渡り、隠元隆琦の「黄檗清規」を手本とし、乱れを生じていた宗派の規矩を整理、刷新を図り、大乗寺は厳正な規矩で大乗寺は「規矩大乗」と呼ばれた。その後、摂津の興禅寺、宇治田原の禅定寺を経て、京都鷹峰の源光庵を復興。元禄13年(1700)、梅峰竺信とともに江戸に出て宗統復古運動を展開、一師印証の宗門改革を寺社奉行に訴え、永平寺法度、總持寺法度の制定に至り、宗門の改革を達成する。それ以来、自らを「復古老人」と称した。『卍山本正法眼蔵』、『卍山本永平広録』の編集に尽力し、『鷹峰卍山和尚広録』(49巻)など著す。巣源光庵にて遷化。曹洞宗中興の祖と称される。
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