稲葉正邦 Inaba Masakuni
天保5年(1834)~明治31年(1898)
陸奥二本松藩主丹羽長富の次男として生れる。のち山城淀藩主稲葉正諠の養子となり、嘉永元年、正諠の死去により、十五歳で藩主となる。文久3年、京都所司代に就任。京都守護職松平容保とともに尊王討幕の過激派をおさえる。同年の孝明天皇の攘夷祈願のため大和行幸を中止させ、尊攘派公家の参内停止と長州藩の禁門警備役解職した八月十八日の政変を実行、尊攘派公卿を朝廷より駆逐した。翌文久4年、老中に就任して第一次長州征伐に出陣。慶応元年に一旦老中を辞するが、翌年復帰し、国内事務総裁を兼任。江戸城明渡しまで幕府重臣としてその責務につく。明治2年、版籍奉還により淀藩知事となり、廃藩置県によりその座を退く。
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