水谷華山 Mizutani Kazan
慶応3年(1867)~昭和3年(1928)
美濃国安八郡牧新田村(現大垣市)に生まれる。幼名は造酒之助。 幼少より竹細工に志し、明治13年(1880)、彫刻師中尾馬山に入門。のち水谷丈吉と改名した崋山は5年半岐阜県巡査を務め、明治29年辞任と共に岐阜市に出て、彫刻業をもって生計を立てる。明治36年(1903)第5回内国勧業博覧会に出品し、褒賞を受ける。崋山の作品は、最初は煙管筒の製作が主であったが、天然竹をそのまま白く美しく仕上げる崋山の煙管筒は白色煙管筒とし て世に広まった。その後、各種竹製品・美術彫刻品の創作を手 がけ、矢立・眼鏡入、香筒・根付・竹印など多種多様な作品をのこした。これらの竹製品は崋山独自の気品があり、世の好事者に珍重された。崋山が鉄筆で彫る細字は、肉眼では読むことができないほどで、見るものを驚かせた。(岐阜市歴史博物館 館蔵品展「明治の雅人たち」目録参照)
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