末次信正 Suetsugu Nobumasa
明治13年(1880)~昭和19年(1944)
旧徳山藩士末次操九郎の次男。7歳頃まで広島で育つ。広島一中から海軍兵学校に進み、日露戦争出征後、海軍最高学府である海軍大学校甲種学生を首席で卒業する。昭和3年(1928)、軍令部次長となり、加藤寛治軍令部長とともにロンドン海軍軍縮条約に強硬に反対し補助艦対米7割を主張した。昭和8年(1933)、連合艦隊司令長官。昭和9年(1934)、海軍大将。昭和12年(1937)、予備役となり、第1次近衛文麿内閣内相、大政翼賛会中央協力会議議長などを歴任した。
雄飛五大洲