伊藤左千夫 Itou Sachio
元治元年(1864)~大正2年(1913)
上総国武射郡殿台村(現在の山武市殿台)に生まれる。幼名、幸次郎。明治6年(1873)、嶋村立嶋小学校(本因寺)に入学。明治10年(1877)、佐瀬春圃の塾に入り漢学を学ぶ。明治14年(1881)、「富国強兵に関する建白書」を元老院に提出。同年4月、政治家を志し明治法律学校に入学。同年9月、眼病のため退学帰郷。明治18年(1885)、再び上京し牧場「豊功舎」に勤める。明治22年(1889)、豊功舎を独立し牛乳搾取業「乳牛改良社」を開業。明治26年(1893)、同業者伊藤並根から茶の湯と和歌の手ほどきを受ける。この頃から『万葉集』に親しみ、歌会などに出席するようになる。明治31年(1898)、新聞『日本』に歌論を投稿し、紙上で正岡子規と論争する。明治33年(1900)、正岡子規を訪ね門人となる。子規没後、歌誌『馬酔木』を創刊し万葉集研究に全力を尽くす一方、斎藤茂吉、土屋文明、中村憲吉など優れた門下生を養成した。また、小説『野菊の墓』、『春の潮』等を発表した。大正2年(1913)、脳溢血で死去。享年50歳。
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