竹富清嘯Taketomi Seisho
天保4年(1833)~明治32年(1899)
肥後五木五家荘(熊本県球磨郡五木村)に生まれる。名、祥。字、謙。通称、理三。 初号、嘯山。弘化4年、13歳で浄行寺で書肆を営む豊前屋の丁稚となり、安政5年、25歳で独立結婚をするまで勤める。その間、主人の阿部壺山に絵の手習いを受け、書は薫其昌を手本として学んだ。独立後、豆腐屋や綿打業を営むが長くは続かず廃業、筆墨、書画刀剣の行商に転ずる。明治10年、乃木希典、川上操六らの知遇を得て西南の役戦没者墓碑名を揮毫し、その報酬を元に清国へ約1年間遊歴、清の画家胡公寿に師事する。 帰国後、西日本各地を遊歴し多くの文人墨客と交わる。明治32年、広島で客死。
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