藤井松林 Fujii Shourin
文政7年(1824)~明治27年(1894)
備後福山藩士、藤井小右衛門の長男として生まれる。幼名は子介、子助、七助。名は好文。字は士郁。別号は、好文、清遠、百斎など。藩から御小僧に召し出され、絵図の加勢になり、藩の絵師、高田杏塢、吉田東里に絵の手ほどきを受ける。安政3年(1856)、京に出て円山四条派の中島来章に入門。また和歌を大国隆正、松本良遠に学び、漢籍を三好一学に学ぶ。安政6年(1859)、御勘定所詰本役、御絵図師兼役となる。維新後は、第3回内国勧業博覧会に「藤花小禽図」を出品し三等妙技賞を受賞するなど活躍した。
鯉図