桂太郎 Katsura Tarou
弘化4年(1848)~大正2年(1913)
第11代、13代、15代総理大臣。長門国阿武郡萩町萩城下平安古(現在の山口県萩市平安古)に生まれる。父は、長州藩士馬廻役桂與一右衛門。母は、長州藩士中谷家の娘喜代子。戊辰戦争に従軍し、奥羽鎮撫副総督澤為量の参謀添役や第二大隊司令として奥羽各地を転戦する。維新後、明治3年(1870)、ドイツに留学。帰国後ドイツ式軍制樹立に尽力。陸軍次官、台湾総督を経て、第3次伊藤博文内閣の陸相となる。以後、第1次大隈重信、第2次山県有朋両内閣でも陸相を務める。明治34年(1901)、第1次桂内閣を組織、以後西園寺公望と交互に政権を担う。大正2年(1913)、憲政擁護運動に批判されて辞職。
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