西田天香 Nishida Tenkou
明治5年(1872)~昭和43年(1968)
滋賀県長浜市の商家に生まれる。本名、市太郎。二十歳の時、北海道開拓民として移住するが、資本家と小作人との利害対立に苦しみ、数年間懐疑と求道の放浪生活をする。明治38年、長浜愛染堂で断食中、乳児の泣声に無心の境を悟り、「無所有・奉仕」生活を標榜し京都鹿ヶ谷に「一燈園」という修養道場を建設する。大正8年、他家の便所掃除を行うことで自己を生存競争の最下位に位置づける六万行願という奉仕活動を始め、無一文で路頭に立つ「懺悔・下座の行為」「托鉢」を行いその活動は朝鮮、満州、アメリカなど海外にも及ぶ。「一灯園」(正式名称・財団法人 懺悔奉仕光泉林)はのち京都山科に移り、現在は敷地面積約10万坪に200人ほどの共同生活体を形成している。
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