浅野弥衛 Asano Yae

大正3年(1914)~平成8年(1996)

三重県鈴鹿市神戸町北萱町に生まれる。昭和7年(1932)、神戸中学を卒業し、職業軍人となり満州に赴任する。翌8年(1933)年、帰国し、このころより絵筆を持つようになる。郷里の詩人で美術批評家の野田理一と知り合い、その影響から抽象表現に興味を持つ。昭和13年(1938)、二度目の応召で中国へ赴任。翌14年(1939)、中国より帰国。長谷川三郎の主宰する美術創作家協会に参加。昭和19年(1944)、三度目の召集でフィリピンに赴任。昭和25年(1950)、美術文化協会会員になる。昭和32年(1957)、このころより、厚く塗ったマティエールを自在に引っかく“引っかき”という技法で、独自な抽象表現を展開していく。同年、鈴鹿信用組合理事になる。昭和34年(1959)、鈴鹿信用金庫(鈴鹿信用組合)代表理事を辞任。この頃より個展を頻繁に行うようになる。昭和38年(1963)、美術文化協会退会。昭和60年(1985)、名古屋市芸術特別賞受賞。昭和62年(1987)、愛知県立芸術大学客員教授。

浅野弥衛 作品(雲) 1971
作品(雲) 1971
浅野弥衛 無題
無題

画像をクリックしてください