三宅康直 Miyake Yasunao
文化8(1811)~明治26年(1893)
三河国田原藩第11代藩主。田原藩三宅家14代。 姫路藩主酒井雅楽頭忠実(さかいうたのかみただみつ)の六男で、幼名、稲若。三河国田原藩第10代藩主三宅康明(みやけやすてる)の養子となり、文政11年(1828)、田原藩第11代藩主となる。同年、渡辺崋山を藩主を補佐する御側用人に任じ、幕吏と結託した悪徳商人による公儀新田の干拓、農民を疲弊させた助郷割当の免除を幕府に嘆願して廃止させ、家格に関わらず有能な人材を登用する人材制度、飢饉に備えた「報民倉」を建設するなど藩政改革に尽くした。嘉永3年(1850)、家督を娘婿の三宅康保に譲り隠居。